2009年7月18日土曜日

日経「文学の周遊」(中沢義則):吉行淳之介「恐ろしい場所」……これは優れて「現代的」であるべき小説だ

今日の日経夕刊で吉行淳之介の『恐ろしい場所』が取りあげられていた(編集委員中沢義則)。あれはホンマに怖いお話しで、その中でも一番印象に残っているとっても恐ろしいお話しが適確に紹介されていたので感激。吉行淳之介が何とかして入居できた下宿の娘が作るお弁当のお話しだ。娘は、蓮根や竹輪の中に得体の知れぬ毒々しい色の詰め物を押し込んだ気味の悪いオカズを吉行に食わせようとする。「鋭敏な感受性を持つ主人公はそれに絶えきれず逃げ出す」と中沢義則氏は解説するが、こういう「鋭敏な感受性」は現代ニッポンには見あたらなくなってしまったようだ。NHKの朝の料理番組を見ているが、軒並みこういった類の料理ばっかりで、おいらみたいな旧世代人類にとってはとても気持ちが悪いのである。

ゴテゴテした「手間暇の掛けた愛情弁当」とやらは日本独特の産物らしい。お金持ちの国アメリカでも子供の弁当はピーナツバターのサンドウィッチと決まっている。重たい昼食をとる欧州各国でも晩飯はスープとチーズのシンプルなものが定番。ところがニッポンのテレビでは、貴重な電波割り当てを独占する正直半分ぐらいの番組局で、アホタレントが「オイシー!」とか「ヤワラカーイ!」とかの「ボキャ貧」言葉を連発しているのである。ニッポンはいつの間にこういった「食い物オブセッション」しかない意地汚い国になってしまったのか。

戦前世代だった吉行淳之介の持っていた「感受性」がいつしか失われ、飢餓記憶だけが脳細胞に深く織り込まれてしまった戦後の日本人が、それを解消しようとしてただただ「食い物」に執着してしまった結果だろう。ニッポンの農村利権集団はそれを利用して更に儲けようと画策し、この傾向が一層助長されることとなっている。悲しいことである。



3 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

後年知ったが、蓮根なんかに毒々しい色の詰め物をする食文化は、どっかの南の方のイナカの風習らしい。吉行が嫌悪したのはその風習だったのかも知れない。

K.N さんのコメント...

蓮根のおいしさである、しゃっきりした歯触りとかすかなぬめり、それをこわさないようにだし味を沁みこませる、というのは結構手間暇がかかるのですが、いざできあがると、見た目が地味なので、穴にけばけばしいものを詰める、という発想が生まれたのでしょうね。

そんなものがまかりとおる、というのは、逆に、それを喜んで食べる人がいる、ということで、蓮根本来のおいしさを知らないのでしょう。おそらく、幼いころから、そのような料理は作ってもらえなかったのだと思います。主婦の労働力はただ、とされてきたことの反動の一つかと。

Unknown さんのコメント...

蓮根の穴の中に魚のすり身を入れたり、長ねぎの芯をくりぬいてミンチを詰めたり、その作業を想像するだけで吉行淳之介は背筋が寒くなったようです。極めつきは赤と黄色と緑の三色弁当の横に入れられた長いままの竹輪の穴の中に黒いなにかを詰め込んだもの。吉行は食わずに弁当箱をどぶ川に投げ込む。こわ〜いお話しでした。